「教育の死角」(1)もっと自由に!依存した生き方から、自立へ 

このエントリーをはてなブックマークに追加

学校を卒業して、ほとんどの人は就職します。家業を手伝うのも同じです。
学校の先生や大人達は「社会に出て働いて、お金を稼いで生活すること」が自立と考えています。
現実はどうでしょうか?

本来、自分の生活があり、その中に仕事やさまざまな人間関係が存在しているはずなのですが、従属して習慣的に働く生活を続けていくと、仕事中心の生活に慣れてしまい、それが自ずと楽な生活となり、新たな変化を望まなくなるのは人の常です。
働いて時が経つにつれ、自分の中に自由が失われていくことを感じても、それが、会社や組織に依存している生き方になっていることに気づく人は少ないのです。

私も来年は、赤いちゃんちゃんこを着る歳になります。
ボランティアや、いろいろな集まりで出会う人は、私よりも年上の方がほとんどです。
その方達と話をしていると、60歳に退職してから社会観ががらっと変わった方が多いのにも驚きました。
退職して、初めて自分が会社という組織に長年従属して生きていたことが分かったと。
そして、新たな生活をどのように築き上げれば良いのか・・・模索状態を続けている方が多くいらっしゃいます。
本人は会社に依存して生きてきたとは表現されませんが、現実は「依存」してきたのです。そして、彼らの次の行動は「新たな依存先を見つける」ことに意識が向けられています。どこかの会社や、組織、会に入って、自分の社会的な位置を確定しようとします。

多くの退職者が、「あなたは、どなたですか?」との問いに「私は、○○○会社の・・・です。」と、所属で自分を規定していた自分に再度戻ろうとします。
本来は、組織に所属する、しないに関わらず、例えば「私は、○○○をやっている・・・です。」など、主体としての自分を語ることが自立の証しと言えるのではないでしょうか?ただし、ことばでの説明だけではなく、実態が伴っていることが前提なのは言うまでもありません。
ということは「社会に出て働いて、お金を稼いで生活すること」が自立であるとは言えないということです。
学校教育や多くの大人は、自分を正当化しようとするように子供達に同じ生き方を自立として強要しています。

依存することは悪いことではありません。しかし、問題は依存しているのに、依存していないと思い込んでいることなのです。
心理学者のマズローに言わせれば、物が有り余る社会では、物欲は薄れて「帰属する欲望」が現れると言います。
一流大学出身者であること、一流企業に勤めていること、皆が知っている優秀な会のメンバーであるとかです。自分で自分自身を規定するのではなく、所属している「枠」が本当の自分よりも大切なのです。ですから、枠が無くなれば・・・自身を見失ってしまうのです。
また、依存からの脱却は、会社や組織などの「帰属する欲望」だけではありません。
東北大震災で、多くのコトを「依存」していたことに気づき始めています。
今の生き方で失ったモノは何だったのか。そして、電力や、農業、漁業、地域経済・・・など、それは本当に自分にとって必要なモノなのか?
例えば、原子力か自然エネルギーかで発電方法を論じる前に、多くの電力に依存している生活様式そのものが、本当に自分たちが選択したい生き方なのか、を問うべきではないでしょうか。
多くの人がやってきたことを鵜呑みにせず、自分はどのような生き方、生活様式を選択する。という、自立した考えを広めていくことこそが、これからの新たな日本の将来を作っていくはずなのです。
世界経済の変動によって浮沈する危うい生活をどうにかする方向は、依存しすぎた生き方を改めることからはじまるのではないでしょうか。