「教育の死角」(2)生きるための教育の必要性

◎依存族を育んだ野性味のない教育

私の周りでもよく聞く「学校は出たけれど、就職先がない」という嘆き。この嘆きを、私は昔から不思議だと思っていました。そして、今や現在の学校教育を変えなければならないと確信しています。

数十年前から親は、兎に角子供を「良い学校」へ行かそうとして、幼いときから投資をしています。良い学校に行って、大手企業、公務員などへの道を目指す。そして、学校ではそのための教育が行われてきたと言っても過言ではありません。それは、農林業や地域産業の担い手を創ることを主目的とはせずに、都会的な生活を目的としています。

一方、グローバル化の進展で日本の企業が必要とする人材は、情報と知識レベルが高く、与えられたテーマをこなす人材から、臨機応変で、競争力のある自立した人材作りに変化しています。かつては後進国であった中国や韓国、インドなどの人材が、グローバル世界を席巻している現状を見ても明らかです。

少子高齢化が進展する日本では、ほとんどの町や村では、「・・・町おこし」「・・・村おこし」と銘打って新しい商業や産業、そして雇用の創出を行おうとしています。しかし、ほとんどが上手くいっていないのが実状です。

何故、上手くいかないのか。それは、働きたいと思っている多くの若者は、職種はどうあれ「与えられるのを待っている依存族」が多く、競争して自分だけは生き残ってやろうとする「野生味」を持っていないことが原因ではないでしょうか。

これこそが、日本の教育内容の欠陥であり、無知な教育者の罪過ではないでしょうか。

◎グローバル化へ重点を置いた教育へ

日本社会には、大きく分けると三つの生活圏があります。動物の生活圏に例えて言うなら、

(1)動物園圏・・・決められた中での競争だが、食いっぱぐれがない。

(2)サファリーパーク圏・・・疑似野生。競争原理が少し働くが、生死を決めるほどの食いっぱぐれがない。

(3)野生圏・・・実力が問われる競争社会、捕まらなければ何でもありとも言える世界。

それぞれの生活圏では、それに適応した生き方が要求されます。

▼(1)動物園圏で必要な教育とは

動物園の猿山の中で、如何に生きるかの教育です。ボスになれなければ、如何に秩序に従属し、序列からはみ出さない様にするかが大切なのです。また、序列の上位を狙うにはどうすればよいかの知恵が必要です。上位のモノや餌を配る飼育員の行動には敏感。しかし、序列が決まれば、働かなくても定期的に餌が配られ大切にしてもらえる公務員のような立場。常に競争心を持つ教育は非難されます。秩序、序列優先教育。

▼(2)サファリーパーク圏で必要な教育とは

財団や社団、NPOなど公務員ではないですが、上手に助成金をもらい、予定調和で競争しない社会を望む教育。公務員などの公的な社会(動物園)の動向を研究して生活をします。助成金や給付の構造と申請方法などの教育。

▼(3)野生圏で必要な教育とは

(1)(2)を対象としないで、消費者、顧客ニーズを対象とした世界。生死をかけた競合が存在し、海外企業が全て競争相手と成りつつある社会。如何にすれば競争に打ち勝つことが出来るか?必要とされるのはグローバル教育。

このように、実際の社会では異なった生活圏があり、自分が棲む生活圏を認識していないと窓際族になってしまうのでご注意!

多くの零細中小企業は、(1)(2)にしがみつこうと必死ですが、グローバル化と少子高齢化社会は、昔のような余裕はなく、(1)(2)から、つまはじきにされる事業者が続出。そこに、就職したい多くの依存族が行き場を失っています。

◎生きるための教育に目覚めよ!

親も学生も、そして最も罪深い教育者こそ、目覚めよ!と言いたい。従来の教育投資を続けた結果を直視すれば、教育の方向性や目的が明らかに間違っているのは明々白々です。

義務教育や高等学校、大学と試験によって学生を評価をするのだが、最も肝心な教育制度や、教育成果においての評価は成されていません。

学校を自由に選択できるのだから、選択された時点で評価はされていると言われるかもしれないが、動物園教育の内容や方法で、小中学校をやられては、もう取り返しはつきません。

そして、教育者である「野生の存在を知らない先生」は、動物園の飼育員であり、「野生の意味が理解できず、野生教育の必要性や、それが教育の死角になっている」ことすら認識できない嘆かわしい現実があります。

では、どうやって野生教育が実現できるか?

これからの子供達のために大人達が、まず真剣に現実を認識しなければならないと考えます。