「教育の死角」(3)「教育効果の焦点」時代変化に対応した教育を!

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前回(2)につづき、生きるための教育の必要性を今回も説きたいと思います。今回は、野生教育を実現する方法の前に、もう一つの「教育の死角」を提示したいと思います。
それは、現在の教育内容が時代変化に対応していないために、高校や大学を卒業した時点で学んできた学習内容のほとんどが、使えないという問題です。大学を卒業しても就職できずに、再度専門学校や、資格取得の勉強をする羽目になる人の多さがそれを証明しています。

▼時代変化への対応

めまぐるしい時代変化に対応しようとインターネットや生きた英語教育を学校教育に取り入れようとしながら、実態はどうも現実的ではありませんでした。グローバル化が進むコトは、日本語以外の英語などの国際言語を使用できることが、国際化の前提となるのは当たり前です。しかし、日本の教育は明治の翻訳をするための英語教育をずーっと続けてきたのです。

いま、テレビやネット広告で石川遼を広告塔として、スピードラーニングという実践的語学教育商品が多くの指示を受けています。不思議なのは、何故、義務教育でスピードラーニングをやらないのか?効果がないのか?もっと別の方法があるのか?

この、やらないことの事実が教育の実態です。現実と乖離しているのです。非現実的な教育。教師のための教育内容としか思えません。

▼実践的教育とは

次に、「インターネットを課題とする教育」がほとんどありません。私が言っているのは、インターネットという環境変化が世界を動かしているのにそれを教育課題としていないのはまったくもっておかしいと思います。

インターネットで最も重要なのは、「検索する能力」と考えます。

昔なら、人にモノを尋ねること、辞書で調べる、書物で調べることです。知らないことがあれば、すぐに調べることが出来れば、知識を全て持たなくても、目的に応じた必要な知識を選択し、組立て結論を出すことが出来るのです。20世紀末までは、図書館の存在や経済力の格差が知識の格差と相関していたと思います。

しかし、インターネットは、その格差がありません。格差があるのは、前述しました「語学」と「検索能力」です。

「検索能力」とは、如何に、分からないことを探し出すか、関連したデータを集めるか・・・など、それらを比較検討して驚くほどの幅広く深く、多くのデータから選択することが出来るのです。

インターネット社会では、知識や情報の収集ではなく、増殖続ける情報の渦から必要な情報や知識を「選択する能力」を鍛える必要があるのです。選択は、判断が必要です。状況に応じた判断力を養う必要があるのです。

このような例以外にも、多くの教育カリキュラムによって、無駄な教育時間が費やされています。

例えば、小学校5年生(10歳)の少年や少女に必要な教育で、特に将来就職に影響する教育に限って考えてみると・・・それは、どうあるべきか。

例えば、12年後に就職すると想定すると、世の中はどう変わっているか?30歳(20年後)ごろの社会は、どう変わっているか?

何を必要としているか?どのような人を必要としているか?どのようなモノやサービスを必要としているか?

様々な産業の変化は?そして、グローバル化は?などなど・・・将来の企業や社会が必要(ニーズ)とする教育を想定して、教育カリキュラムを組まなくてはならないのです。そして、教育者の意識変化がそれに対応する必要があります。もっと言うなら、教育者になる資格内容が「時代変化」に対応しなければならないのです。

現在の教育は、「時代変化」に対応していないのです。ですから、21世紀の加速して変化する時代に日本の教育は、ますます無力になっているのです。

教育は重要です。しかし、目的を失った方法には未来はありません。学校に子供を行かせることが、友達作り以外に果たしてよいのか?日本の教育現場は、多くの無駄を抱え、立ち止まった教育環境であることを親たちも自覚する必要があります。

何を教えればいいのか、先生も分からない。親も分からない。

しかし、現実を自覚して、変化を判断して決断して前にすすむことこそ、これからは必要だと思います。

失敗すれば、やり直せばいい!それを繰り返すこと。

まずは、それしかないと考えます。立ち止まってはいけない!のではないでしょうか。