AgriArt 私の自然農法と、多様な視点

「自然農法」と言っても、様々な考えや、流儀があります。
私が試みる「自然農法」は、耕さず、肥料を施さず、自然の時間の中で、大地と環境に委ねる農法です。しかし、科学的には「微生物農法」とも言えると思います。

自然農法自体も自然環境と季節変化に添いつつも、大地に影響を与えています。例えば、種まきや、苗植えの前には、刈った草や米糠などの田畑から取った資源を戻します。

私の自然農のイメージは、田畑から取った資源は、そこにに棲む無数の「微生物の餌」として戻すのです。餌を食べて、微生物が活発に活動が出来る状況を創ることをイメージしています。一般的に肥料は、作物に与えるために施しますが、そうではないのです。

多様な微生物の発生と共存する状況づくりこそ、自然農を行うということであり、豊かさのイメージとしてあります。そこにある有機物の餌とのバランスの範囲で、極小微生物から大きな微生物間で食物連鎖が起こり土壌が生命力に満たされていきます。
微生物は、有機物をチッソやリン酸、カリウムなどへ無機化していきます。そして、それを作物の根が吸収するのです。土壌微生物によって、そこにある有機物に応じた土壌バランスが保たれます。

私が試みる「自然農法」は、土壌微生物にとって快適な田畑の環境づくりが、一番の目的です。
草を伸ばして、タイミング良く刈る。
このタイミングが難しく、まだまだ自然に訊ねながら、学びながらやっています。
草は、土の陽よけになります。適度な湿度を保つ必要があります。
雑草と呼ばれる草や、その根っこは虫たちや微生物の住み家となります。
そして草が枯れて、大地に戻るとき微生物たちが餌とするわけです。
しかし、過剰な有機物があったり、微生物が居ない場合は腐ります。
偏った微生物の存在は、土にとっては不健康なのです。草木が腐らないで、大地に消える、吸収されていくには、多様な微生物の力を借りればいいのです。

草が邪魔!虫が邪魔!と言って一生懸命草むしりしておられる畑を見ると・・・。真逆のやり方、考え方なのが、何かどうしようもない社会の現実を思い知らされるようで・・・複雑な気持ちになります。

微生物は、目には見えないほど小さな生き物です。ですから、微生物と呼びます。目に見えないモノは、「信じない」「存在しない」ではなくて、それこそが本当は農業の主役であり、大切な役割を担って自然の世界を作っているのです。
いま話題の「有機農法」は、本来は「微生物農業」と言うことなのですが、間違った解釈がなされています。
「作物に施す肥料が有機物」であるという定義なのです。
上手に野菜を作るには、野菜が吸収しやすい完熟有機肥料を如何に素早く作って施すか・・・というのが主な課題となっています。
明らかに微生物という生物を無視した農業法です。

このようなことから、私は、農業を二つに分けて考えるようになりました。
自然の力を借りて行う農業を「自然力農業(しぜんりきのうぎょう)」と呼び、片や人間の力を頼りにして行う農業を「人力農業(じんりきのうぎょう)」と呼ぶことにしています。
前述した考えの有機農法は、人力農業です。
自然力農業は、如何に自然の力を借りれば良いかを考えて行う農業法といえます。「微生物農法」は、その中の主要な考え方となります。

ちなみに、よく言われる自然農は、農薬、科学肥料は勿論使用しませんが、耕さず、肥料も施さずと言われています。
しかし、実際は、微生物が耕して、微生物が作物に肥料を施しているのです。人は、見えない微生物にとって快適な環境を創り維持することに専念すればいいのです。

環境問題やエネルギー問題、介護の問題も、お隣の畑と同じように、似て非なる考えが同居しています。
それは、多様なモノの見方、考え方が存在してていることの認識を持つか、持たないかにおいて大きく乖離しているために、話し合ってもかみ合わない現実があります。
考えを押しつけるのではなく、多様な考えを眺めながら、都度、気づき、選択できることが大切ではないかと考えます。