AgriArt 循環しない「地産地消」のウソ?!

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3月も後半。桜も咲き始める頃、春野菜の種まきの準備です。
畑に残る冬野菜のキャベツ、白菜、大根は、もうすぐ食べ頃を終えます。

そして、次回の種まきのために、選んだ野菜の株に花を咲かせる準備をします。
種を採るためです。
ところで、写真の大根は種採り大根として選んだモノですが、昨年、自然落下した種からできた実生の大根です。

 

畝の外に生えていますが、堂々と太って愛らしいです。
この種を今年は採って・・・来年は、太った大根ばかり???では、困るのですが・・・まー、それもありかって思っています。
大根の花は、白く春のさわやかな季節に合って、それだけで充分楽しみを与えてくれます。

そして、花の後には鷹の爪(唐辛子)のような形の種房が沢山出来ます。
房が茶色く変色したら、一房ずつ指先でほぐしながら種をとりだす作業をし、過ぎ去った春から夏へと季節の移り変わりを味わいます。
野菜作りの喜びは、やっぱり種の自家採取ができることにあります!
昔は、米や野菜の種を自家採取して、それを大切に保管して、種蒔きする。
自分でこれはと思う株を選んで、種採り用と決める。良い作物を育て良い種を作ること、循環する農業のやりがいが農家にはあったのです。
大根一本から、種を採ると、数百どころか数千の種が採れます!
お米のモミ一粒から、二千〜三千の種モミが採れます!
キュウリ一本から、数百は採れるでしょう!
手間を惜しまなければ、十二分に種が採れるのです。
私の自然農の考えでは、全ての種が、育つわけではない・・・。これは、魚が数千個の卵を産んで、2匹ほど生存できれば、生物が維持できるのと同じように、沢山の種を採って、沢山蒔きます。
そして、充分力のあるモノを自然が選べるようにする。
100以上の種を蒔いて、20程の苗が出来ればいいんじゃないか、という具合です。
沢山の種が手元にあるわけですから、無理なく出来るのです。

ところが、今の農業の実態は、驚くことに種を採らない!農業に変わっています。
近くの園芸店や農業店を6店ほど見て回りましたが、販売している野菜の種のほとんど90%以上は、F-1や交配種というものになっています。F-1や交配種とは、植物の味覚や育てやすさなどの良い点を持った品種を人工的に交配して作っているもので、種を植えて出来た作物はその品種の性格を備えていますが、その種は、その限りではないというモノです。(※F-1や交配種の意味は、その他の定義がありますが、本文では上述した内容とします。)即ち、毎年種を買って、苗を作り野菜を作るということです。
苗を買う場合も、ほとんど、F-1や交配種の種を蒔いて作りますから、同じように毎年苗を買う事になります。それに対して「固定種」という種があります。これは昔ながらの種です。植えた野菜から優秀な種を採って、種まきをする。そしてまた、良いと思う苗を選んで、また植える、循環農業の種です。
昔の熱心な農家は、この種の優劣で差別化を行っていたのですね。
そして、秘密にもしていたんです。ところが、現在は、お金を出せば作柄の良い(F-1や交配種)苗や種が手に入る。一番おいし所、オリジナルなところが欠落してしまっているんです。
お米のほうも、種籾を自分で採って、それを植えるという循環農業は少なくなって、ほとんどの農家は、農協等から田植機に上手くセットできるようにパレットで販売されている苗を購入して使っています。
お米の場合、種籾を自分で収穫しようと思うと、コンバインという機械で刈り取る前に、一つ一つの株を見て良いものを選び、手作業で事前に刈り取る必要があります。(しかし、田植機で植えた場合、3〜5本の稲の苗を一カ所に植えてしまうため、刈り取る時期に一つ一つの株を見て選びこと自体が難しくなります。うちの農園では、一カ所に一本の稲の苗を手植えする、つまり、1株が1本の苗から出来ているので、その勢いや、穂の付き具合、実り方を他の株と比較しやすいのです。)その後、刈り取った稲は、2〜3週間、天日干しして脱穀して、というプロセスを経ます。機械で行う農作業は、人が直に稲を触ることがほとんど無いため、お米の良し悪しのニュアンスが籾の見た目での判断なので、だいぶ違ってきているようです。
以上のような状況が、現在の農業の「種」から見た状況です。
・・・ということは、
種を採らない農家の野菜は、「地産」といえるでしょうか?
「地産地消」と称して、いろいろ活動までしている団体や組織がいっぱいありますが、ほとんどの農家が、F-1や交配種の種や苗で育てた野菜は、どこかの工場で作った野菜の種を、また野菜の苗を植えて育てた「地育地消?!」と呼ぶべきでしょう。明らかに、循環が途切れた農業になってしまっているのです。
・・・でも、しかし、誰も不思議に思わない!?
社会的ニーズに応えて、大きくて、甘くて、おいしい野菜が沢山出来れば良いというのが、現在の経済合理性を追求する農業の方向性なのです。
作る喜び、育てる喜び、創造的喜びを失った農家から生まれる野菜は、さほどの愛着も、自信も信頼もないモノだと、感じてしまうのは思い過ごしなのでしょうか?