(1)どこまでも広がる「段々畑」 in フィリピン

このエントリーをはてなブックマークに追加

エコ・アートフェスティバル in フィリピン 2012.11.24・25

◎野焼きからはじまった

2012年11月17日から、27日までフィリピンに行ってきました。
フィリピンに行く事の発端は、11月初旬に友人の浅田氏の誘いで、音楽家の山本公成さん夫妻が粘土で作った土笛を野焼き(注)しようというものでした。
面白そうだなーということで早速、我ら夫婦共々参加しました。
そして、山の中で、数個の土笛を6時間ほどかかって野焼きしました。
その時に、この土笛の野焼きがフィリピンの山奥の村でおこなうエコ・アートイベントの準備のためのシュミレーションであることを聞きました。
それは、環境保護運動の一環とした活動で、子供達と一緒に行う多くのアートイベントのひとつで、その他にもいろいろと行うとのことでした。
詳しくは、分からなかったのですが・・・環境保護活動の実態に興味があったのと、こんなコトでもない限り絶対に行かないであろうフィリピンの山奥にも興味がありました。
と言うことで一緒に行ってみようということになり、同行決定!

◎寒い国からのエコ・アートフェスティバル in フィリピンへ

11月17日に関空から出発しました。
今は、格安航空券があってマニラまで往復42,000円ほどです。安くなりましたねー。
沖縄に行くのとあまり変わりません。
フィリピンの気候は、11月頃から雨期から乾期に移行するタイミングです。
気温は、最低気温25度最高気温が34度ほどでしょうか。今年の寒い日本から一気に真夏への移行です。
昼に出て4時間ほどでマニラに到着。飛行場近くの街中のホテル泊。
首都マニラは、想像通り今の日本にはない勢いとエネルギーと喧噪で街が活き活きしています。
しかし、その裏道にはゴミに溢れたスラムが車窓から見え隠れして、川はゴミが溢れていました。
マニラで!泊して、翌日にルソン島北部の中心都市のバギオ市(Baguio)にバスで向かうことにしました。

◎マニラからバギオ(Baguio)へ

翌朝、バスターミナルから長距離バスに乗ってバギオへ移動します。
車窓から、マニラでは都市近郊の山の上までびっちり住宅が密集して建っていました。
広島の尾道傾斜地を遙かにしのぐ山の高さと傾斜、そして住宅密度です。とにかく人が密集しています。
マニラ北部は、数十キロ走っても広大な平野の田園地帯です。
川には乾期のため水流がなく、勾配のほとんど無い川は、水が流れにくく農業用水路など治水が整備されにくいことを想定すると、淀むであろうこと、また、・・・マニラ近郊のゴミに溢れた川の原因を垣間見た気になりました。

バギオ市にはバスでびっちり7時間かかって到着しました。
バギオ市は、標高1,500mの高原に人口30万人弱の街があります。
平均気温が20度〜25度と、スペイン統治時代から避暑地として開発された地域です。
現在では、多くの大学が集中して若者が街に溢れています。
海外からの留学生も多く、特に英語を学ぶために韓国の若者が約3万もいます。
韓国では、グローバル戦略で就職するには英語が必須条件になっており、アメリカ大陸に留学するよりは安く英語留学できるアジアの英語圏としてバギオに英語学校が沢山出来たとのことです。
近年、日本人留学生も徐々に増加してきており、そのうち韓国人同様、数万人規模になるのではないでしょうか。
バギオの街は、高原の避暑地であるはずなのにディーゼル自動車の排気ガスの強烈な匂いが街を被っています。まさに公害の街です。

◎フィリピンの環境NGOの活動

バギオで、今回の目的であるエコ・アートフェスティバルについて、フィリピンの環境NGO活動を行っている日本人女性リーダーの反町真理子さんに会って、今回の活動の詳細を聞きました。
環境NGOの「コーディリエラ・グリーン・ネットワーク(CGN)」の活動として、ルソン島北部山岳地帯の12村の小中高生に環境保護の啓蒙の意味で「アートフェスティバル in フィリピン」を行うとのこと。
その村々は、フィリピンで一番長いチコ川の源流域の村で、山河の自然変化が下流域にも大きく影響する地域です。
音楽家の山本公成さん以外にも、染色家、舞踏、ダンスなど、10名ほどの日本人アーティストがCGNから招聘され参加することになっていました。

◎3日目に山岳地のサガダ(SAGADA)へ

翌朝、バギオ市からバスで北部の最初の目的地、サガダ(SAGADA)を目指します。
今度は、バスで2,000m前後の山岳地帯の尾根道をぐるぐる走ります。
この7時間のバス移動も、ホント疲れました。
日本には存在しないスケールの長い山岳地帯の行程です。
崖から落ちないのか、冷や冷やですが、行き交う車も慣れているのかビュンビュンと飛ばします。

◎山岳地帯は、森が無くなり「段々畑」に

バスの車窓からは見渡す限りの山脈が広がります。
標高2500mほどの山頂まで「棚田」ではなく、耕作された「棚畑」になっています。
空気も薄くなって、お店で売っている菓子袋もパンパンに膨らんでいます。
「棚畑」は、数百メートルの標高差で「段々畑」が、車窓に次々と現れます。
このような棚畑が、一ヵ所でも日本にあれば、そこはもう名所といわれるでしょうが、フィリピンでは見渡す限りです。
雲を突き抜けて山の頂まである「段々畑」は、美しくもある不思議な光景です。
山々には、森がありません。
人々は、森の樹を切って使って、森を畑に変えてしまったのです。
その方法が「焼き畑農業」です。
樹木の下草を刈らず、枯れ木や草の腐敗・堆肥化を待つことなく、全てを焼いてしまう方法です。
そして、焼いた後の山肌を耕作し、畑地にしていくのです。
道路脇まで、高原野菜のキャベツや人参がびっしり栽培されていました。
それを見ると、充分耕作されて、まさに化成肥料と農薬をたっぷり使っているであろうきれいな野菜が整然とぎっしりと詰めて作られていました。

◎必死に「段々畑」で生きている

段々畑をみていると、なぜ、そこまで耕すのかを考えてしまいます。
答は簡単です。経済的に追いやられた貧しい人々が道路のない山頂まで耕して「生き抜こうとした」結果だとわかります。
高低差の大きい畑の上り下りだけでも大変な労働です。
「焼き畑」は良くないと言っても。
延々と広がる「段々畑」を作って、働き生き抜こうとする「必死さ」を見ると、山々を元の森に戻そうということがどれほど机上の困難なテーマであるかを思い知るのです。
また、耕せる土地がある人はまだしも、努力しようにも耕作地もない人々は、マニラなどの都会に出てゴミの山で彷徨って暮らさざるを得ないのだと気づきます。
そして、森林の破壊は山村の人々の「焼き畑」などの問題ではなく、フィリピン政府の産業政策などによる雇用創出が上手く行っていないことが、もともと背景にあることが主要因だと推測できるのです。

次回は、サガダ(SAGADA)の状況をご紹介します。つづく

(注)野焼きとは、陶器を屋外で焼くことです。
粘土で作った容器や道具などの作品を野原などで、草木を用いて焼いて陶器にすることです。縄文土器はこの方法で作られています。