エコ・アートフェスティバル in フィリピン 2012.11.24・25
◎サバンガン(Sabangan)の民家へ移動
山の尾根にあるサガダの村から約10Km程南に下がったチコ川の畔にあるサバンガン村に移動しました。
今回のエコ・アートフェスティバルのメイン会場となるのがサバンガン村です。
フィリピンで一番長い川のチコ川の畔にある100戸ほどの村です。
我々は、NGOが用意してくれた民家を借りて6人での共同生活をはじめました。
村の中は、ニワトリやネコや犬が、自由気ままにうろうろしています。
だれも見向きもしません。
犬は人を見ても吠えることもなく、何故か皆おとなしい。
日が暮れるまでは、あれこれと騒がしい生活音が響きますが、日暮れと共に静まります。
どこの田舎も同じですが、夜が早いのです。
その代わり、夜明けと共にあちらこちらのニワトリが鳴き始めます。
陽が少し上がりはじめると今度は、村人が動き始めます。
それはそれは慣れていないと眠れないほど、ですが、疲れていたのでそれなりに眠ります。
共同生活の家は、普通の民家です。
トイレは、ありますが便器に便座や蓋がありません。
使用後は、そばにあるバケツの水をくんで流します。
便器にどうやって座るのか?・・・どうやって行うのか?
いろいろ議論がありました・・・想像にお任せします!?
お風呂はありません。
トイレと同じ場所にあるバケツの水を使って身体を洗います。
しかし、フィリピンといってもサバンガンは標高1000m近くで、谷間で川のそばにあります。
昼間は、紫外線が強くて真夏になりますが、朝夕夜は冷えます。
水で身体を洗う方法は「気合い!」です。
◎ダータ(DATA)村の小学校
サバンガンから車で40分ほどの山奥に、ダータ(DATA)村があります。
山の尾根から北の谷の斜面に家が点在している村です。
谷を挟んで、遠く向こう側にサガダ(Sagada)が見えます。
このダータの村の中心の小学校にも教会が一緒にあります。
この小学校で、生徒達と共に山本公成さんが考案した「ティードロップ(Teardrop=涙の雫)を型どった「笛」の野焼きをおこないます。
私たち夫婦がフィリピンに来るきっかけになったひとつに、堺市での野焼きの目的がここにありました。
◎ティードロップ(Teardrop=涙の雫)を型どった笛の野焼き
野焼き(素焼)の準備をするために小学校の裏の空き地で準備をはじめます。
空き地の横は、バナナ畑です。
まず、レンガで野焼きをする区画を仕切ります。
そして、レンガの上に金網を乗せ、その下に薪を並べて、上にワラを敷いて粘土でつくったティードロップをひとつずつワラに巻いて並べます。
ティードロップ(笛)は、フィリピンに先行した公成さんらが子供達に教えて事前に粘土で作りました。
そのティードロップが、どうなるのか子供達はワクワクしながら並べていきます。
ワラが燃え尽くしても外に転がらないように慎重に並べます。
並べた終えたらその上にワラを重ねます。そして、籾殻を上に重ねて置きます。
そして、今度は水に濡らしたワラを重ねていきます。
最後に、水に濡らした新聞紙で全体を覆います。
水に濡らすのは、一度にワラや籾殻が燃え尽きないようにするためです。
バナナの葉っぱを新聞紙の変わりに使う予定だったのですが・・・新聞紙を生徒達が苦労して集めたというので、バナナの葉っぱは形式だけで行いました。
考えてみれば、日本と異なるのは当たり前なのですが・・・。
フィリピンの山奥で新聞紙を集めるというのは、大変なコトだと後で分かりました。
貴重品です。
◎野焼きの火付け
夕方の4時頃に中の薪とワラに火を付けて燃やしはじめました。
じんわり中から燃えて、外に煙が出るまで2時間ほど蒸し焼きのような状態です。
一度に温度を上げると割れてしまうので、時間をかけてゆっくりと熱を上げていきます。
新聞紙が焦げてくると、その部分にまたぬれた新聞紙を貼り付けます。
そうしながら、徐々に中が燃えつきて新聞紙の山が小さくなっていくのを待ちます。
4〜5時間ほどして、全体に火が回ったのを確認して、今度は薪を沢山積み上げて燃やします。
高温になるように再度焼き上げます。
これで、700度から1000度まで、できるだけ温度を上げていきます。
温度が高ければ、高いほど、土器の強度は増して壊れ難くなります。
陽が落ちて、子供達も村人もいなくなりました。真っ暗なフィリピンの夜です。
われわれ日本人スタッフだけの作業です。
薪が焼け終わったのは午後11時頃です。
作業終了後に、皆でサバンガンの宿に帰り寝ました。
翌日、ワクワクしなが子供達と一緒に掘り出しました。
まだ、熱が暑くて子供達だけでは掘り出せません。日本人スタッフが手伝って掘り出します。
ほとんどのティードロップが上手く焼き上がりました。
「野焼」の意味がやっと分かったようで、子供達も先生達も大喜びです。
昨夜遅くまで、日本からやってきた人が(おかしな日本人?)野焼きをしていたのは、皆知っていたようです。
先生方も、野焼きを自分たちだけで再度やってみようということになりました。
この経験とティードロップの野焼き体験は、子供達の宝物になったようです。
この山奥で、「なんで、日本からわざわざ来て野焼きやねん?」という思いに対して、先生や村人、子供達と一気に繋がった感じがあります。
そして、たぶん子供達は、大きくなるにつれ「なんで、日本からわざわざ来て野焼きやねん?」という答を感じてくれるんじゃないかという期待が膨らみました。
「思い出」が、人に大きな影響を与えることを私たちも知っていますから。
次回は、「サバンガン村でのインスタレーション」をご紹介します。
つづく